2024年05月15日

本土復帰52年②

本土復帰52年②
令和六年一月(辺戸岬)

沖縄返還の本土復帰は荷重負担の始まり⁉️

 1972年5月15日しおちゃんは、
那覇市立城東小学校の3年4組の生徒だった。

 記憶は定かではないが、この日は
雨が降っており学校は休みだった気がする。

 復帰の日の街頭は、あちらこちらに
国旗がなびいていた。

 しおちゃんは、戦後18年目に生まれ
琉球政府の国籍で、9歳にして晴れて
日本国籍を取得した。

 当時の戸籍謄本の証明がどうだったのか
知る由もないが気になるところではある。

 現在の戸籍謄本は、全て印字されているが、
ちょっと前までは、手書きの文字になっていたのに
いつの間にか今のカタチになっている。

 アメリカ統治下の琉球政府時代には、
アメリカ合衆国大統領の承認を得て国防長官が、
現役アメリカ陸軍将校から任命された
強大な権限を持つ高等弁務官が琉球政府の政治に
大きな影響を与えていた。

 沖縄が日本返還された事により
第6代のランバート高等弁務官が退任したので
沖縄行政は、アメリカ軍人から沖縄人の政治家が
取り戻した記念日なのかもしれない。

 1609年の薩摩侵攻から長い月日が
流れやっと自立した平和で平穏な
郷土を取り戻したと県民は信じて
いたのかも知れない。

 沖縄がアメリカ統治下時代に締結された
日米安保条約には、日本防衛の施設として
米軍施設の土地を提供する事が約束されていた。

 50年安保、60年安保締結時の沖縄は、
日本ではないので日米安保条約の枠組みには、
入っていないので本土の米軍基地負担は、
それなりにあった。

 沖縄の本土復帰以降本土の米軍基地は
整理縮小された現実がある。

 本土復帰して県民が望んでいた
米軍基地撤去は、沖縄では無く
北海道稚内の米軍基地撤去から
始まった。

 本土復帰前の1969年沖縄の歴史上初の公選で
行政主席となった屋良朝苗主席は、
日本返還された最初の沖縄県知事選挙でも
「米軍基地即時返還」を公約として
沖縄県民に選べられた沖縄県知事だった。

 今朝の新聞によると5月15日が
本土復帰記念日を知らない世代が増えていると
報道されていた。

 沖縄で生まれ育ち日本国沖縄県民として
人生の大事な証として結婚式は、
沖縄を代表する農産物ゴーヤーの日である
5月8日で戸籍上の結婚記念日は5月15日の
復帰記念日を意識した。

 アメリカ軍統治下の27年を超えた
普天間基地返還合意から今年で29年を迎えて
いるが、しおちゃんは橋下モンデール会談を
鮮明に覚えている。

 沖縄県民は、復帰52年戦後79年経っても
もやもやした悩ましい苦難の歴史時間を
歩んでいる。

 もっと言えば1609年の江戸幕府薩摩藩による
琉球侵攻、1972年の琉球処分による琉球藩、
1879年の沖縄県制定から沖縄の政治は
自立できないと言うか常にアメリカを意識する
日本政府の掌で操られているのかもしれない。

 この悩ましい沖縄の心の問題を解決するには
国防を他国に頼るのではなく自国防衛にする
憲法改正が一番だと考える。

 全国にある警察組織が、その地域の治安維持に
務める様に平和な国家基盤を保つ為には
戦争をしないための軍隊が必要だと
考える事は、悪いことだとは思わない。

  不安定な国境を抱える沖縄県の地理的状況を
考えるならば日本政府が進める自衛隊配備の動きは
当たり前だとも思っている。

 ただ、沖縄で生まれ育った一人として
現在の普天間基地移設問題は釈然としないのが
正直な気持ちでもある。

 元沖縄県知事の西銘順治氏は沖縄の心は?
と問われ
「大和人になりたくても、なりきれない心」
だと答えた。

 しおちゃんは、本土復帰後の公選で選ばれた
歴代の知事全員を支持しているし誇りにも思っている。

 なぜならば、その時々の
沖縄県民の信認を得て選ばれた
沖縄県知事だからである。

 確かに自分が投票した候補者が選ばれなかった事も
あるが、現行の日本憲法で定められた公職選挙で
決定された代表だから当選した県知事を
県民として是々非々で応援するのは
当たり前の事だと思う。

 現在の沖縄社会は、過去の歴史に囚われ
未来を憂い過ぎて人生にとって一番大事な
現時点の時間を無駄にしているのかもしれない。

 しおちゃんは、協力な政治リーダーの誕生を
切に願っている。

 悩ましい沖縄問題を解決するには
沖縄県選出の総理大臣誕生を願っていたが
60代のなった現在、その可能性が低いとは言え
確立は、ゼロではないと信じている。

 関ヶ原で敗軍になり外様となった長州藩は
薩摩と共に討幕の偉業を発揮し以降多くの
総理大臣を誕生させた。
 
 薩摩の西郷隆盛、大久保利通は
島津成彬の影響により存在感を発揮した。

 幕末から明治新政府で活躍した
人物に大きな影響を与えた吉田松陰が
長州には存在した。

 29年の人生だったが、
日本人に愛されている偉人を代表する
人物である。
しおちゃんの人生で総理大臣の誕生が
難しいのであれば、せめて吉田松陰の
沖縄版の存在が現れる事が未来の
子や孫の世代に大きな財産を残せると
沖縄の未来を妄想している。

 日本最北端の街、稚内市には戦後米軍が駐留する
苦難の体験を沖縄と同じように共有していた。

 稚内の米軍基地撤退は、沖縄が本土復帰した
1972年の6月30日アメリカ行政の年度末最終日と
なっている。

 宗谷岬平和公園にある世界平和の鐘は、
年6回の鐘打ち式で平和を願い戦争や事故で
犠牲になった御霊を鎮魂する儀式がある。
① 6月23日「沖縄戦慰霊の日」
② 8月15日「終戦記念日」
③ 8月20日「九人の乙女の碑」
④ 9月1日「大韓航空機遭難慰霊の日」
⑤ 9月21日「国連国際平和の日」
⑥ 1月1日「新年」

宗谷岬平和公園に初めて足を運んだ日に
北海道新聞の記者に公園内を案内してもらい
この地にまつわる歴史を聞いた。

 年に六回ある鐘打ち式に沖縄慰霊の日が
どうして加わっているのか疑問に感じていたが、
その謎がようやく解けたように思う。

 沖縄は、27年に及ぶアメリカ統治下の時代が
あったとはいえ本土復帰を果たし今年52回目の
記念日を迎えた。

 北方領土は戦後79年を経ても
何の解決もなくいたずらに時間だけが過ぎている。

次回 戦後生まれのしおちゃん

昨年のブログ
https://shiokawa.ti-da.net/e12508378.html

6月23日「沖縄戦慰霊の日」



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Posted by しおちゃん at 22:25│Comments(0)沖縄未来妄想図
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