2023年05月15日

本土復帰51周年

本土復帰51周年
1972年(昭和47)5月15日に琉球政府道1号から国道58号に変る

 全国を旅しながら常に感じたことは
平和だからこそ日本各地どこでも自由に歩ける。

 県外を歩いていると沖縄にも昔は、
多くあったであろう田園地帯が
全ての都道府県にあった。

 日本は美しく平和な国だと心から感じていた。
他国に攻撃を受ける事なく先の敗戦から続く
この平和は、日米安保条約に守られた他国の武力に頼った
米軍基地駐留あればこそだと実感してもいた。

 私の歩いた日本縦断のコースで
米軍基地や米国軍人の姿を一度も目にするこはなかったが
自衛隊基地は何度も目にしたし自衛隊隊員の姿も目にした。

 私は、那覇市に生まれ成人するまで石垣島・宮古島でも
生活をした事があり最後に多感な思春期を過ごした事で
県内では、宮古島出身だと口にしているが心中では、
自分の故郷は沖縄県全てだと社会人になってからは
そう思っていたし自分に言い聞かせていた。

 全国を歩いていると必ずどちらから歩いているのですか?
とよく聞かれるし沖縄の方ですかですか?」とも
同じように聞かれるその都度
「はい、生まれも育ちも沖縄です」と誇りを持って答えている。。

 少し訛りのある私だけど日本全国どこに行っても言葉が
通じるし当たり前だけど普通に意思疎通ができる。

 東北の田舎町で自宅の庭にある畑で作業する年配の
女性に挨拶をすると自家製の漬物と冷たいお茶を
御馳走になったずうずうしくお代りもした。

 女性に沖縄から歩いている沖縄人だと
自己紹介をすると開口一番
「沖縄県民に犠牲と苦労を掛けていることに
日本人として感謝している」と口にして
「私一人の力ではどうにもならないです」と
申し訳ない表情をした。

 丁度放映中の「ちむどんどん」の話題になり
一度は沖縄に行ってみたいなぁと子供のような笑顔を
浮かべながらそれでも朝ドラを鑑賞することによって
沖縄に旅行している気分になれるので満足していますと
満面の笑顔をむけてくれた。

 帰り際に今日は、沖縄の人と知り合い会話できたので
近所の人に自慢できると口にして私の姿が見えなくなるまで
門の前で見送ってくれた。
本土復帰51周年

 ごちそうになった農家は、それこそ大げさな言い方になるが
畑の中の一軒家で近所の人は何処だろうと
余計な心配をしつつも幸せな気分を噛みしめていた。

 「旅は、道連れ世は情け」また徒歩の旅の
醍醐味を味あわせてくれた女性との一期一会の
出会いに感謝の気持ちが自然と湧き上がっていた。

 日本の平和は、間違いなく沖縄の犠牲の上に
成り立っていることを実感した。

 2023年5月15日沖縄県は、本土復帰51周年を迎えた
政治家たちはよく沖縄の自立を訴え政府に頼らない
などと主張するがその悩ましい現状を打開するには
沖縄から総理大臣を誕生させることだと思うように
なっていた。
 
 大臣が先か高校野球の全国制覇が先か
本土復帰当時は、沖縄県民の合言葉のように
言われていたが、両方の夢は達成して現在では
日本プロ球界では人口比率でいくと沖縄出身者が
トップだという。
 
 沖縄は、本土復帰して10年ごとに更新した
沖縄振興策で他県に比べると高額な予算を計上しているのにも
関わらず県民所得を始めとする全国ワーストがいくつもある
先のWBC日本代表メンバーの一割は、純粋に沖縄県出身が
顔を揃えた。
 
 現在、日本政府の閣僚には一人も
沖縄県選出者の国会議員がいない現状を
嘆いているのは、私だけだろうか・・・・

本土復帰40周年2012年のブログ
https://shiokawa.ti-da.net/e3842129.html

本土復帰50周年2022年のブログ
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Posted by しおちゃん at 12:08│Comments(0)平和シリーズ
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