2024年05月11日

本土復帰52年

本土復帰52年
辺野古の海

沖縄本土復帰52周年

 5月15日は、琉球政府から日本政府
に復帰して沖縄県に復帰した記念日である。

 独立国だった琉球王府だった時代から
1872年6月7日琉球国から琉球藩に代わり
1879年3月27日に明治政府から沖縄県の
名称が言い渡された。

 時代を遡れば、三山時代の
戦国の世を経て1429年から
1879年の450年間を琉球王国時代と
なっているが、1609年3月7日〜
4月5日(29日間)薩摩による琉球侵攻
から江戸幕府の薩摩藩による植民地として
270年の時代だった。

 明治新政府が誕生したのが1868年4月6日、
廃藩置県が施行されたのが1871年7月14日なので
琉球国は、江戸幕府の薩摩支配から明治新政府に
引き継がれた日本による植民地だったことになる。

 1895年4月17日の日清講和条約により朝鮮独立と
台湾の割譲を認めさせ台湾が正式に日本となり
先の敗戦まで沖縄と台湾は日本国だった。

 戦後沖縄県は、27年間もアメリカの施政権に
置かれ台湾と中国は領土問題を争っている。

 尖閣諸島を含んだ問題が
悩ましい台湾有事と呼ばれる
不安を生んでいる。

 沖縄の主権は1609年の薩摩侵攻から
1972年本土復帰まで実在していなかった。

 終戦までの沖縄県知事は日本政府の
指名による官選知事で本土復帰前の
1968年12月1日の戦後初の行政主席選挙に
より屋良朝苗行政主席が誕生し1972年の
本土復帰により屋良朝苗沖縄県知事が誕生した。

 屋良朝苗知事の誕生は、沖縄の歴史上で
民主主義の選挙で選ばれた最高責任者なのである。

 当時の屋良朝苗知事は、沖縄の本土復帰は
戦争の負の遺産である米軍基地が全面撤去されると
信じていたし大多数の沖縄県民がそう信じていたと
思う。

 沖縄の歴史は、1609年の江戸幕府の薩摩藩による
侵略から現在に至るまで主権はなく日本政府に
声が届かないどころか米軍基地問題は、
アメリカの裁定になっている。

 しおちゃんは、声を大にして言いたい
真の徳利国家であるためには国防は
外国に頼るのではなく早く自国防衛の
早期確立を希望する。

 武器のない国を目指すと声高々に
叫ぶ人たちを否定するものではないが
文明の発展とともに防衛のための武器も
発達していることを思えば警察の犯罪阻止の
ためのある程度の武器は必要だし国家も
避ける事のできない問題なのである。

 琉球時代の沖縄本島でも内戦によって
琉球王国が誕生した歴史事実がある。

 琉球政府時代に生まれ9歳になって
日本国籍を取得したがアメリカ施政権下を
経た人生とはいえしおちゃんは、身も心も
生まれた時から日本人なのである。

 1872年の琉球処分から1972年の
本土復帰までの百年の歴史で沖縄の代表を
決める選挙はたった一回しかなく
本土復帰に沖縄の夢を託した沖縄県民の
思いは普天間基地問題に始まる
米軍基地の荷重負担に対して沖縄の民意が
届かないと言っている声も多いに理解できる。

 1995年から始まった普天間基地
移設問題は、現在に至るまで宜野湾市の
ど真ん中に29年経った現在でも変わらず
同じ場所に存在して辺野古移転計画が
進行しても県民闘争は続いている。

 大東亜戦争の敗戦により
日本は、連合軍の支配下に置かれたが、
沖縄県・伊豆諸島・小笠原諸島・鹿児島県の
奄美諸島はアメリカ軍に占領下に置かれた。

各地の本土復帰
伊豆諸島1946年3月22日
トカラ列島1952年2月10日
1951年サンフランシスコ平和条約
奄美諸島1953年12月25日
小笠原諸島1968年6月26日
沖縄県1972年5月15日

北海道の発哺領土は終戦から
79年経っても返還の兆しは
何も見えていない。


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Posted by しおちゃん at 14:35│Comments(0)沖縄未来妄想図
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