2025年05月16日
5月15日は入籍記念日
入籍記念日は復帰記念日
20世紀末の1999年5月8日
沖縄ハーバビューホテル内にある一室で
波の上宮の神職立会いの神前で塩ちゃんは、
妻と夫婦の契りを交わした。
それまでは、結婚式と入籍日が一緒だと
思っていたが違っても問題ないと知った
塩ちゃんは迷わず復帰記念日に入籍届をした。
家族で琉球政府時代に生まれたのは
塩ちゃんだけで、妻と娘と息子は復帰以降に
日本政府の国民としてこの世に生を受けている。
5月8日のゴーヤーの日は偶然に重なったが
5月15日の復帰記念日には拘りがあった。
本土復帰時の記憶もアメリカドルから日本円の
通貨変更も自動車の右側通行も塩ちゃんは、
鮮明に記憶している。
父親は9歳で終戦を迎え
塩ちゃんは9歳で本土復帰を迎えたのも
偶然ではなく神様の導きだと
勝手に思い込んでいる。
先日、神戸に住む息子に
入籍記念日は、本土復帰記念日を選択した
想いを事細かく説明した。
「お父さんは、沖縄が大好きだね」
と息子は言葉にしてくれた。
沖縄の地上戦を知らないが、
本土復帰を待ち望んでいた大人たちの
姿は鮮明に覚えていて記憶の引き出しから
いつでも出せる様にしている。
妻も娘も息子も平和の時代に生まれ
塩ちゃんと同じ戦争知らない世代ではあるが、
家族の誕生日とも言える入籍記念日の
1999年5月15日は、戦後27年の
アメリカ統治下から解放された
日本本土記念日と一緒だと父親としての想いを
未来の孫たちにいつか伝えてくれると信じている。
二人の子宝に恵まれ戦後30周年の節目を
迎えた2005年6月23日の慰霊の日は、
毎年摩文仁平和記念公園で犠牲者に哀悼の誠を捧げ
2007年からは平和行進にも参加している。
今年は、戦後80年になるが
沖縄県民が受けた心の傷は消えるどころか
傷口に塩を塗るような残念な発言で
心を痛めている一人でもある。
次回 歴史の伝承に続く
20世紀末の1999年5月8日
沖縄ハーバビューホテル内にある一室で
波の上宮の神職立会いの神前で塩ちゃんは、
妻と夫婦の契りを交わした。
それまでは、結婚式と入籍日が一緒だと
思っていたが違っても問題ないと知った
塩ちゃんは迷わず復帰記念日に入籍届をした。
家族で琉球政府時代に生まれたのは
塩ちゃんだけで、妻と娘と息子は復帰以降に
日本政府の国民としてこの世に生を受けている。
5月8日のゴーヤーの日は偶然に重なったが
5月15日の復帰記念日には拘りがあった。
本土復帰時の記憶もアメリカドルから日本円の
通貨変更も自動車の右側通行も塩ちゃんは、
鮮明に記憶している。
父親は9歳で終戦を迎え
塩ちゃんは9歳で本土復帰を迎えたのも
偶然ではなく神様の導きだと
勝手に思い込んでいる。
先日、神戸に住む息子に
入籍記念日は、本土復帰記念日を選択した
想いを事細かく説明した。
「お父さんは、沖縄が大好きだね」
と息子は言葉にしてくれた。
沖縄の地上戦を知らないが、
本土復帰を待ち望んでいた大人たちの
姿は鮮明に覚えていて記憶の引き出しから
いつでも出せる様にしている。
妻も娘も息子も平和の時代に生まれ
塩ちゃんと同じ戦争知らない世代ではあるが、
家族の誕生日とも言える入籍記念日の
1999年5月15日は、戦後27年の
アメリカ統治下から解放された
日本本土記念日と一緒だと父親としての想いを
未来の孫たちにいつか伝えてくれると信じている。
二人の子宝に恵まれ戦後30周年の節目を
迎えた2005年6月23日の慰霊の日は、
毎年摩文仁平和記念公園で犠牲者に哀悼の誠を捧げ
2007年からは平和行進にも参加している。
今年は、戦後80年になるが
沖縄県民が受けた心の傷は消えるどころか
傷口に塩を塗るような残念な発言で
心を痛めている一人でもある。
次回 歴史の伝承に続く
Posted by しおちゃん at 04:34│Comments(0)
│ファミリー