2023年07月07日

合縁奇縁その①

合縁奇縁その①

糸と糸が繋がる
 
 尊敬する偉人が二人いる
ジョン万次郎と伊野忠孝である。
 
 二人とも幕末の生まれで
日本の明治維新に絶大な影響を
陰で与えた人物だとしおちゃんは
そう信じている。
 
 土佐清水の田舎町で育ち
初漁で嵐に遭い遭難して捕鯨船に救助され
数奇な運命に出会いペリー来航時の
日本人としては、彼の右に出るグローバル精神を
持ち世界を一番知る者だったと断言できる。
 
 伊能忠敬は55歳で日本地図作成に取り組み
完成した地図を目にした日本人だけでなく
鎖国時代の日本人の能力に近代化の道を
日本の遥か彼方を歩んでいた外国人の度肝を
抜いたという。
 
 50歳を迎えて毎年、人生初体験に挑戦できたのも
彼ら二人との出会いなしには、自分の人生を語れない。
 
 好奇心旺盛なジョン万次郎、ストイックなまでに
自分の目的を追求する伊能忠敬、二人の生き様は
これからの日本人は参考にすることがたくさんあると
しおちゃんは、声を大にして言いたい。
 
 直接的に二人が、接したこと名はないが
江戸時代末期の幕臣として戊辰戦争の最後の戦いで
新政府軍に抵抗した函館戦争の大将でありながら
初代総理大臣伊藤博文から薩摩出身とは初となる
二代目黒田清隆に引き上げられて名誉回復し
政治家、外交官として日本近代化の発展に
尽力した。
 
 榎本武揚は、ジョン万次郎の弟子であり
彼の父親は幕臣として伊能忠敬の弟子であった。
 
 ジョン万次郎と薩摩のつながりは
深いものがあり、もちろん沖縄にもいくつかある。
 
 一番驚いたのは、薩摩の琉球侵攻で戦に敗れた
琉球尚寧王が、人質として将軍に謁見する為に
江戸に向かう道中、隠居したとは言え絶大な権力を
誇っていた徳川家康に謁見するために駿府城に
立ち寄った。
 
 家康に謁見後、体調を崩した尚寧王の弟である
具志頭王子を置いて薩摩藩は江戸城に向かう旅を
続けた。
 
 具志頭王子は、体調が回復せず琉球から遠く離れた
異郷の地で命を落とした。
 
 しおちゃんは、日本縦断徒歩の旅で
具志頭王子が祀られている静岡県の清見寺に行き
墓前に手を合わせた。
 
 その際に清見寺の敷地内に咸臨丸殉難碑が
建立されていたのでしおちゃんはずっと疑問に
感じつつ絡んだ糸のように心に残っていた。
 
 北海道の八雲町を歩いている時に
榎本武揚上陸の地の存在を知った。
 
 神奈川県小田原では、伊能忠敬の
宿泊を記念した石碑に出会った。
 


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Posted by しおちゃん at 09:07│Comments(0)琉球歴史探訪
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