2023年07月05日

南大東島初上陸

南大東島初上陸

南大東島初上陸

空飛ぶゴンドラを運ぶクレーン車
 
 沖縄本島から約400キロも離れた
断崖絶壁に囲まれた太平洋に浮かぶ
絶海の孤島である南大東と北大東に日本の領土として
国標が建立されたのは、1885年(明治18年)で
1900年(明治32年)に八丈島出身の玉置半衛門の
呼びかけで開拓団23名が上陸しこの島の歴史が始まる。
 
 大東島は、琉球王国時代の歴史には存在しない
うふあがりの島と呼ばれる伝説の島だった。
 
 大東諸島は、南大東と北大東が有人で
南大東から約160キロ離れた沖大東は
1956年から米軍の射爆撃場となっているので
現在は無人島となっている。
 
 大東諸島の開拓が始まったのは
1900年(明治33年)なので大東島は
琉球王国時代を知らない歴史の浅い島なのである。
 
 那覇市で生まれ石垣市、浦添市、那覇市首里、
平良市(現在宮古島市)の小学校で学んだ
塩ちゃんが大東島の存在を明確に知識として
持つようになったのは社会人になってからであった。
 
 国境の島である大東諸島は、
島に縁のない沖縄県民にとって
異次元の世界と言っても過言ではないと思う。
 
 日本全国を旅して沖縄に対する郷土愛が
深まった塩ちゃんは、50代最後の歳を迎えて
大東諸島の沖縄県としての成り立ちに
大きな興味が湧きだしていた。
 
 今年の2月北大東島にプチ移住計画を夢見て
北大東製糖の季節労働者として二か月生活をして
沖縄で生まれ育った日本を代表するグループバンドの
代表曲ともいえる「島人の宝」にある
 
「僕が生まれたこの島の事を僕はどれくらい
知っているんだろう」
とのフレーズがあるが、北大東島にプチ移住して
目から鱗の歴史真実にこれでもか?これでもか?
この島の大地と空と大海原から自然教育を受けた。
 
 人間社会の原風景が、満載のこの島は
大都会に発展した那覇市に40年近く住んでいる
しおちゃんの心を癒してくれた。
 
 大東諸島は、南大東、北大東、沖大東の順に
開拓されこの島に行政が施行されたのは、
先の大戦後の1946年(昭和21年)アメリカ施政権下の
時代なのである。
 
 それまでは、開拓者の玉置半衛門の経営する
玉置商会から引き継がれた民間企業が島民の
生活を制約した複雑な歴史がある。
 
 企業が発行する「南北大東適用引換券」と
正式に呼ばれる商品引換券を行政が施行されるまで
島の流通貨幣となっていた事実も北大東で
初めて知り得た。
 
 国境の島である大東島の事を
沖縄県民であるしおちゃんは、
知らないことがたくさんあった。
 
 大東島の歴史を知ることは、
沖縄からさかのぼる琉球歴史真実を
探求する意味でも大きな意義を
しおちゃんは、感じていた。
 
 沖縄本島から飛行機で1時間
船だと15時間を要する大東島を学ぶことは
開拓者の気分になることが大事だと思い込んだ。
 
 北大東には、飛行機で一旦南大東空港に
降り立ったが、今回の南大東の歴史探求の旅は
大東海運が運航する「だいとう丸」に乗船した。
 南大東島初上陸

 早朝5時に甲板に上がると明るくなっていて
雲のかかった水平線から太陽が姿を現してきて
しばらくすると南北大東島の島影がしおちゃんの
視界に入るとしおちゃんは、準備していた言葉を
大声で発した
「島が見えたぞ」周りに人がいても
関係なかった。
 南大東島初上陸

南大東島の北港から名物である
念願のゴンドラに乗りクレーン車に運ばれ
南大東島に上陸をする。


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Posted by しおちゃん at 11:14│Comments(0)大東島琉球歴史探訪
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