2023年05月09日

奥武山の疑問⁈

奥武山の疑問⁈

奥武山公園の顕彰碑
 
 奥武山公園の敷地内には、護国神社・沖宮・
世持神社がある。
 
薩摩侵攻後の第二尚氏時代には、護国寺の住職だった
心海上人が、隠居して龍洞寺を創建した記録を耳にしたことが
あるが、現地で確認できる説明版などはなく護国神社の鳥居近くに
心海上人のお墓があるのみである。
 
 心海上人は、多良間島にも渡った記録があり
布教活動とも島流しとも言われていてはっきりした
記録がないと言うのがとても興味が湧く。
 
 当時の奥武山は、現在のように陸続きではなく
孤立した浮島だった。
 
 奥武山公園も先の大戦で被災しており
現存する神社拝殿は戦後建立されている。
 
 元々の奥武山の形状がどうだったのかは
知らないが三つの小高い丘があり神社も
それぞれの場所に存在している。
 
 護国神社の裏手には、沖縄県令としては16年の
長きにわたり君臨した奈良原繁知事の銅像が建立されていた
台座には長老様がこの地を見守っている。
 
 この地にある改組記念碑の説明版によると
石碑と銅像の除幕式は、1908年(明治41年)7月4日
とある。
 奥武山の疑問⁈

 その前方には、東京オリンピックの際に
沖縄に立ち寄った聖火を記念した石碑があり
その後方には立派な台座の上に石碑があり
天地創造を意味する天王大御神・天主大御神(うてんうやがなしい)
と刻銘されている
 
 拝所になっており石碑の前には鳥居も建立されていて
好奇心旺盛の塩ちゃんは、いつもその立派な台座が
気になっていた。
 
 当初気になっていた長老様の台座も元々は
銅像が建立されていたことで腑に落ちたので
拝所や御嶽にしてはあまりにも立派な台座から
想像するに琉球王と言われた奈良原繁元知事より
位の高い人の銅像が建立されているのではないかと
勝手に想像した。
 
 奥武山公園内にある神社三社は神社庁に属していないが、
琉球国新一の宮として神社庁に属している波の上宮の敷地内に
建立されている明治天皇の銅像を目にして塩ちゃんは、
好奇心を揺さぶっていた。
 奥武山の疑問⁈

 明治天皇像が建立されたのは、昭和45年で
当時の沖縄県は、アメリカ施政権下の琉球政府時代で
ある事が、なぜ何故なぜと疑問に感じていた。
 
 ネットで検索すると戦前の日本社会では
明治天皇の銅像ブームがあった事が分かった。
 
 奥武山公園内にある世持神社の御祭神は、
歴史の混乱に巻き込まれ現在は波の上宮の
敷地内に祀られている。
 
 誰か塩ちゃんの疑問を解決してくれないかなぁと
願いながら県立図書館に足を運んだ。


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Posted by しおちゃん at 08:32│Comments(0)奥武山公園琉球歴史探訪
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