2024年11月07日

宮古島未来妄想図

宮古島未来妄想図
富士山八号目の山小屋にて2017年7月

夢は妄想や憧れから始まる

 県行政に長年勤め
60歳の定年退職を目の前にして
依願退職をした。

 中学校からの同級生で高校生活の
部活動を引退してからは卒業するまで
懇意に付き合っていた。

 社会人になってからは、疎遠になっていたが
30代前半からある事がきっかけで急速に
親交が深まっていった。

 職場が近いもう一人の同級生と三人で
飲む機会が増えいつも沖縄の将来とか
お互いの夢や思いを語り合っていた。

 お酒が入っているせいもあって
はたから見れば、夢ではなく大きな妄想に
聞こえていたのかもしれないが、三人は
真剣に未来妄想図を描いていた。

 2015年に日本一高い富士登山の頂上を
制覇して興奮したしおちゃんは、酒の席でも
富士登山の魅力を良く口にしていた。

 2017年の新年に登くんと差しで飲んでいると
「富士山に一緒に行かないか?」
とおもむろに言葉にしたので好奇心旺盛の
しおちゃんは即座に呼応した。

 その場に居なかった
山里くんを誘うと最初は渋っていたが
付き合うのが当たり前だと言って
強引に同意させた。

 2007年にはしおちゃんが、
ある団体から依頼されたイベント企画の
糸満の平和記念公園から辺戸岬まで
タスキを繋ぐ責任者の役割を担い
名護市までは何名かで繋いだが
そこから辺戸岬までは夜通し一人で
歩く予定だと伝えると二人は
だったら付き合うよと返事してくれた。

 三人の絆が急速に深まったのは
このイベントからだったと回想する事が
良くある。

辺戸岬から奄美大島と繋ぎ九州は、
長崎空港から長崎平和公園まで歩く事に
なったが、そこは山里くんと一緒だった。

 それから何年か過ぎ今度は、
辺戸岬からぶっ通しで喜屋武岬まで
独りで歩く予定だと言うと
登くんが辺戸岬から名護まで
付き合ってくれた。

 また月日が流れ今度は、名護から
那覇を目指して夜通し歩く事を
提案すると二人は、面白いと言って
付き合ってくれた。

 三人は、一緒に歩いたり
お酒を酌み交わしながら良く
沖縄の未来妄想図を描いていた。

 もちろんふるさと宮古島の現状を
喜んだり憂いたりしながら宮古島未来予想図を
三人なりに心に描いていた。
 リタイアしたら宮古島の発展に貢献したいねが
登くんの口癖でもあった。

 しおちゃんは、2019年に約三か月
職場に希望して宮古島のレンタカー業務を
ヘルプした。

 下地島空港の業務が繁忙になり
猫の手も借りたい状況になったと聞き
手を挙げた。

 当時の宮古島は観光バブルで
経済が潤っている反面、オーバーツーリズムが
問題になっていた。

 家賃が高騰し地元の住む同級生や
多くの島民が嘆きの声を聞いた。

友の一大決心に 続く

 
 


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Posted by しおちゃん at 06:04│Comments(0)ふるさとの風景
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