2024年04月04日

緊急津波警報

緊急津波警報
危機意識

 那覇市高台にあるおもろまちにある
事務所で会議開始時間の9時前各自が
メンバー7人全員の携帯電話の警報音が
けたたましく響いた。

 台湾花蓮市沖を震源とする地震発生による
津波警報を知らせる警報だった。

 おもろまち自体が高台にあるため
特に避難場所に移動する必要が無いため
一時間の会議はそのまま進行された。

 会議進行中もマナーモードにした携帯は
頻繁に着信を知らせていたが、会議に没頭
していたがどこか落ち着かないもあった。

 会議終了後、携帯を確認すると
北海道・東北・関東・関西に住む友人から
LINEや留守電を確認すると皆同様に
しおちゃんの安否確認だった。

 現地にいるしおちゃんは、ある意味
のほほんと会議をしていたのにマスコミ報道で
情報を得た友人知人は、自分ごとの様に
心配していたかと思うと何か申し訳ない
気持ちになってしまった。

 妻からは、何度もLINEや電話もあった
普段はLINEがあっても緊急で無い限り
滅多に電話をすることの無い妻の反応は
さすがだと思った。

 帰宅後食卓で、津波警報の話題になり
耳を傾けると妻の職場は、安否確認の為
社員は一時仕事を中断して家族や親族に
連絡を取っていたが一部の人は自分の
仕事を優先していたが、管理職も経営陣も
それぞれぞれの反応だったと嘆いてもいた。

 タイに住む娘は、妻だけではなく
ばあちゃんにも電話をしたが、繋がらないと
心配する連絡があったと聞いて危機意識の
高さに感心すると同時に自分の意識の弱さに
恥ずかしさも感じた。

 その日の夕食のテーブルで妻は、
職場の関連会社でも対応がまちまちで
しっかり避難対策をしている会社や現場もあれば
対岸の火事のような雰囲気がある職場も
あったと自分ごとのように心配していた。

 那覇軍港近くの職場で働く友人の会社は、
対応が素早く津波警報が発令されてから
高台避難を決断し友人は、自宅療養をしている
奥さんを連れて近所の高台に移動したが
避難民でごった返していたと聞かされた。

 友人に言わせれば、津波は
発生しなかったが、結果的にいい避難訓練に
なったと安堵感を感じさせる口調が携帯越しに
伝わってきた。

 しおちゃんの家族は、妻が司令塔となり
親族全員の安否情報を的確にSNSを通じて
確認できた。

 災害は忘れた頃にやってくる。
緊急警報を受けて瞬時にどれくらい
対応できるか残念なことにしおちゃんが
速報を受けた環境は、上手ではなかったと
反省している。

 避難場所近くにあったとは言え
確かに自分の安全は確保できていたが、
妻の様に娘の様に対応できたかと
聞かれたら上手に対応できなかったと
反省するしかない。

 大事な仕事の会議かもしれないが
命を脅かす警告に対する反応としては
良くなかったと思っている。

 妻の行動による連絡のおかげで
大切な家族の安否確認ができた事で
どれだけ安心できたかとても良い
勉強になった。

 誰とは言わないが、自分は大丈夫だから
笑いながら避難する必要のある場所に
いるのにも関わらず行動を起こさないので
車で迎えに行き避難場所に連れて行ったと言う。

もし一刻を争う必要があったと思うと
もし大津波が押し寄せてきて車で移動する
時間が命取りになるかもしれない。

 先ずは自分の安全を確保することで
大切な人を気遣うことができる事を
教えられた今回の警報だったと思う。

忘れてはならない大切な事は
震源地に近い台湾花蓮県の犠牲者に
心からのご冥福を祈る。合掌🙏




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Posted by しおちゃん at 06:55│Comments(0)平和シリーズ
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