2021年07月17日
聖火宿泊碑(旧久志村嘉陽区)


History of the Olympic torch
東村から南下すると久志村(現名護市)嘉陽区に
聖火宿泊碑が建立されている。
2007年に沖縄一周独り歩きを始めた時に
聖火宿泊碑の存在を初めて知った。
徒歩の旅の醍醐味でもある。
それまで車では、何度も側を通る機会が
あったが全く気が付かなかった。
もしかしたら目にしたかもしれないが
関心が向かなかったかもしれない。
歩いていると立ち止まることは
簡単なのである。
「歩く」と言う字は
「少し」「止まる」と書く所以がそこにあると
塩ちゃんは、理解している。
「旅の原点は徒歩の旅」
の持論がこの日も確信を持った。
昨年史上二回目になる
東京オリンピックの開会式は
塩ちゃんの誕生日である7月24日の
予定だった。
昨年誰もが,予想だにしなかった
映画やドラマのようなコロナ禍が
あっという間に世界に広がった。
誰もが中止やむなしと思ったが
オリンピック委員会は大会延期を
英断してくれた。
開会式は、一日早くなった事は
残念だがそれは塩ちゃんだけの
問題なのでどうでもいい事である。
外国人選手が、続々と入国してきても
マスコミの中にはこの期に及んでも
開催すべきではないと国民を煽っている
かのように叫んでいる人達がいる。
少年の頃、甲子園を目指していた
野球少年は夢を叶うことできず
甲子園球場に初めて足を踏み入れたのは
30歳を過ぎていた。
憧れの聖地に立てたことで
塩ちゃんは大満足だった。
甲子園大会の試合は何度も何度も
テレビ観戦をしたし印象に残っている
ベスト10を挙げるとしても
生の観戦ではなく全てテレビ観戦の
試合である。
現代のテレビ画面は、幼い頃とは
比較にならない映像の鮮度で
臨場感もかなり良くなっている。
昨日、嘉陽区の記念碑の前に立ち説明文を
目で追うだけで、塩ちゃんが誕生した翌年に
開催された映像でしか知らない
東京オリンピックの記憶が蘇ってきた。
女子バレー金メダル柔道のヘーシンク
マラソンの円谷選手などである。
記念碑説明版の写真には、星条旗と
日の丸が並んでいた。
辺野古付近を走る聖火ランナーの
風景など当時の県民が歓喜する姿に
感動した。

正式には沖縄県民ではなく
琉球政府の県民で国民か県民なのである。
塩ちゃんは、聖火宿泊碑の
前に立っただけでオリンピック気分を
味わった。
コロナ禍でなければ、昨年は
妻と二人で台湾旅行に行く予定であったが
現在は、台湾直行航空便は欠航の状態が
続いており夫婦旅行の延期が続いている。
我慢の限界にある妻は、
気分だけでもと通信販売で台湾から
烏龍茶を取り寄せた。
台湾語で表示された小包と烏龍茶に
手料理の魯肉飯とテレビ録画されている
台湾ドラマで、台湾旅行に言った気分に
なっている。
無観客試合やパブリックビューイングが
中止決定する中。宮城県の村尾知事が
有観客を英断した。
東北震災当時から、知事職を務めた村井知事は
世界中の人々にお世話になったことへの
恩返しの判断だと塩ちゃんは受け止めている。
有観客を判断できる状態にした
宮城県知事と宮城県民に国民の一人として
感謝の気持ちを表したい。
ここまできたらオリンピックの成功を
日本国民が一丸となって祈ることだと
塩ちゃんは、この国がそんなおもてなしが
できる国だと信じている。
東京オリンピックに照準を合わせて
頑張ってきた選手たちが、余計な神経を
使わずに集中できる環境を作ることこそが
政府ではなく日本国民の責任だと思う。
コロナ禍は、誰の責任にもしてはいけない。
言いたいことは、しばらく飲み込んで
全ての結果を判断してオリンピック後の
総選挙で評価してくれと塩ちゃんは
強く願っている。
間違いなくオリンピックは
夢と感動を当ててくれる。
先人たちが、聖火リレーで
盛り上がった当時の雰囲気が伝わる
聖火宿泊碑は、日本人としての
大事な心を教えてくれた。
ラジオ放送で日本国民が歓喜した
「前畑がんばれ前畑がんばれ」の時代から
比べれば現代文明の発達はすごいものが
あるではないか、もし戦後の混乱期に
コロナ禍が発生したらと想像するだけで
窮屈な生活を強いられているとは言え
もうしばらく我慢を続け日本国を信じたい。
塩ちゃんは、政府も行政も日本人も
信じている。
文句ばかり口にする輩は
報われないと声を大にして言いたい。

