2025年04月07日

夢を諦めない

セカンドライフステージも生涯夢求
夢を諦めない

 7月に生誕62歳になる塩ちゃんは、
人生二度目となる20代の新年度を迎えた。

 60歳までのファーストライフの幼少期は、
那覇市崇元寺町の産婦人科で産声を上げ
石垣島に移り住み海星小学校に入学し浦添小学校に転校して
小学二年の三学期だけ通い三年生に進級するとき
首里にある開校三年目の新設校城東小学校で二学期まで
通い宮古島の平一小学校に転校した。
首里で生活している時、沖縄の本土復帰を体験した。

 幼少期から甲子園に憧れていた野球少年は、
豊見城高校野球部の活躍や世界チャンプの具志堅用高さんの
活躍に一喜一憂していたごくごく普通の思春期を
過ごした。

出身地と聞かれれば宮古島と答えているが、
塩ちゃんにとって故郷と言えば、宮古島も
石垣島も首里の街並みもふるさとだと思っていた。

 誰もがそうであるように幼児期の
記憶などあるはずがないけど明治新政府(1868年)
の誕生から95年、敗戦から18年なので
しおちゃんの親世代は戦争記憶が残っていたし
明治維新もそう遠い過去のような気がしない。

 塩ちゃんは、戦争を知らない世代として
時代に翻弄される事無く平和の恩恵を受け育ってきた。

 科学進歩の象徴の一つと言える
テレビは、物心がついた時から生活の一部として
楽しみ親しんでいた。

 振り返ると幼少期は別れと出会いの繰り返しだったが、
当時の本音を言えば、転校するのが悲しくて寂しかったが、
野球を通じて知り合った仲間を始めとする
同級生との絆が塩ちゃんの人生を豊かにしてくれたと
思っている。

幼い頃に生活環境の変化を何度も体験した事で
出会いの縁を大切にする心が人一倍強くなったことで
県内外の人脈に恵まれたと思っている。

 幼少期時代の体験が嫌だったので
子供たちは学童幼稚園、小中高と一回も転校させず
自宅も長女の高校進学と長男の小学校移転により
独身時代から住んでいたマンションを手放し
引っ越ししたので子供たちは沖縄を離れるまで
歩いて通学できる環境だったので父親としては
大満足している。

 現在長女は、バンコクの職場で働き
独身貴族を謳歌している。

バンコク生活を始めて二年の時間で
シンガポール・マレーシア・韓国・台湾・スリランカ・
インドネシア・ベトナムと海外生活を満喫している。

10代で10か月の語学留学を体験した娘は、
そこで知り合った東南アジアの各国に国籍の違う
友人が存在する。

 息子は兵庫県の大学に進学し今年三回期生になるが
浪人生活を体験した事で人間的の幅が出来たような気がする。

 子供たちが、親元を離れたので
長年住んでいた国際通り周辺から妻の実家に近い
小禄に引っ越して夫婦二度目の新婚生活を
エンジョイしている。

子供たちが住んでいる頃は、夜の付き合いも多かったが、
還暦を過ぎたらこれまでの友人付き合いの執着を手放し
たまに近所に住む親友と二人で飲む以外は、よっぽどの
事がない限り飲み会に参加する事もない。
 
妻が一人で待っていると思うと出かけるのが
悪いと思う感情があり自分自身でもそんな心境の変化に
驚いてもいる。

 首里城火災本殿消失により触発され長年温めていた
日本縦断独り歩きの夢を妻の了解を得て実現した事で
65歳までは、次なる徒歩の旅を封印していたが
宮古島市長選挙にチャレンジして大願成就を叶えた
親友に触発されて好奇心旺盛の精神が再燃したのを
妻に見抜かれた塩ちゃんは、封印していた思いを
開封して夫婦でこれからの夢を語る時間が増えた。

 先月帰省した息子から改めて年齢を聞かれ
「お父さんは姿勢がいいし同年代に比べたら
若々しいしお父さんは人生を謳歌しているね」
と嬉しい言葉をもらい幸せな気分浸っていると
「お母さんもこれからは、子供の事より
夢を一番に考えて欲しいと思っている」
自分の息子ながらかっこいいと思った。

 娘も留学した辺りから母親に対して
同様な発言を繰り返していた。

 子供たちが離れた事で時間の余裕が出来た妻は、
毎週ネットオンラインで海外講師による英会話レッスンを
続けており二度目の新婚生活に入った頃から
自分の夢を良く口にするようになっていた。

塩ちゃんの人生がポジティブに語れるようになり
暗い過去の記憶もそれはそれで生きる糧になったと
思える様になり過去は変えられると悟った。

 歩ちゅう塩ちゃんの語源は、歩く中毒から来ていて
きっかけは24歳の夏に出会った一冊の本だった。

 バブル真っただ中の東京で不動産業に関わり
誘われて地元企業に転職した環境で25歳から31歳までの
殆どを選挙事務所に出向していた。

 選挙事務所スタッフとして衆議院議員、参議院議員、
沖縄県知事、県議会議員、市町村議員の選挙事務所で
人脈を築くことができ当時一緒に働いていた仲間の一部が
現職議員として頑張っている。

 人生光陰矢の如しだと感じるが
これからは、毎日が笑顔で暮らせるように
しおちゃんのこれまでの人生において
受けた恩を忘れずに感謝の念をもって
自分が幸せを感じる事で恩返しになると
思っている。



同じカテゴリー(塩ちゃん人生論)の記事
新年度を迎えて
新年度を迎えて(2025-04-04 23:22)

人生の道
人生の道(2025-03-08 08:22)

夢ありがとう
夢ありがとう(2025-02-27 10:24)

人生の出会いと別れ
人生の出会いと別れ(2025-02-17 08:19)

「黙」2025年頭漢字
「黙」2025年頭漢字(2025-01-31 09:59)

2025新年
2025新年(2025-01-03 04:51)


Posted by しおちゃん at 22:52│Comments(0)塩ちゃん人生論
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。