61歳の還暦同窓会
塩ちゃんの還暦同窓会
那覇市で生まれたしおちゃんは、
9歳~18歳の高校卒業まで両親が生まれ育った
宮古島で生活をした。
沖縄本島では、旧暦の3月上旬、清明祭(シーミ―)
首里地域では御清明祭(ウシーミー)と呼ばれる
祖先供養の祭りが墓前で盛大に行われるが、
沖縄本島北部(伊江島)や久米島・先島諸島地域では
「ジュウルクニチ(旧暦1月16日)となっている。
琉球歴史に詳しいしおちゃんの師匠(弓道)によると
琉球全体は、元々ジュウルクニチの風習だったが
薩摩支配から清明祭に変り首里地域だけウシーミーと
呼ばれるのは、王宮があった為だと言い
首里城から遠く晴れた地域だけジュウルクニチの
風習が残っていると教示された。
妻は、糸満出身なので清明祭は門中墓の敷地で
お墓参りをする。
初めて義父母に付き添って
清明祭に参加した事があるが、
宮古島とは違う光景に驚きの感動を覚えた。
宮古島で育った10代は、両親の出身地である
城辺西城学区長間地区でジュウルクニチに
親戚と一緒に参加した。
個人墓にお墓参りをした後、近くの野原に
ブルーシートを広げそれぞれの家族が
歓談している様子を見て
「まるで運動会だね」と親戚の前で口にした記憶がある。
両親は生まれ育った出身地なので広場に集う全員が
顔見知りだった。
妻の門中墓に集う大勢の光景に触れ
凄い数だねと全員知っているの?
妻に問いかけると殆ど知らない人ばかりだと
言っていたが多くの人が義父に挨拶をしていた。
義母方の門中墓の規模は、
まるで地域の公民館広場の様だった。
清明祭の習慣がある地域では、
旧暦1月16日は、一年忌を迎える家庭の仏壇に
法要する慣習がある。
昨年、宮古島で平良中27既卒の
還暦同窓会は、旧16日のお墓参りに合わせて
開催された。
しおちゃんは、沖縄本島南部に
親父が眠る墓を管理しているのと
妻の実家親族の旧16日の法要があった。
その為、昨年ジュウルクニチに合わせた
日程だと出席は難しいと同級生に伝えていたので
しおちゃんの気持ちを察した妻が、
「自分がちゃんとするから同窓会に
出席して良いよ」
と言ってくれたので、同窓会に出席する為
一度は航空券を予約した。
予約をしたしおちゃんだったが
ジュウルクニチが近づいてくると家長としての
責任を最優先すべきだと判断したので、
妻に伝えると何も言わず納得してくれた。
還暦同窓会から7か月後、
同窓会幹事役の女子から連絡があり
還暦同窓会のYouTubeを妻と鑑賞した。
還暦同窓会会場の雰囲気を味わいながら
同窓会実行委員会の奮闘する姿に感謝の気持ちが
心から自然に湧き上がっていた。
那覇で生活するしおちゃんは30代から
暇さえあれば泡盛を酌み交わす気の置けない
二人の同級生が居た。
いつもお互いの近況や沖縄未来妄想図を
語り合っていたが40代後半になると
ふるさと宮古島も頻繁に話題の対象になった。
県庁職員の登さんは、
「リタイアしたらふるさと宮古島に恩返しがしたい」
がいつもの口癖だった。
2,017年夏、二人の親友(嘉数登・山里秀樹)
と日本一高い富士山の山頂に立った。
三人は、眩いご来光を拝みながら
それぞれの願いを心に誓った。
登山後、慰労会をしたが
お互いの願い事は、三人とも口に
出さなかったような気がするが
暗黙の了解はあったと思う。
それから月日が流れ、しおちゃんは
早期退職をして日本縦断独り歩きの夢を実現した。
会社役員だった山里さんも早期退職して
幼い頃からの夢を体験した。
2023年3月、県庁の筆頭部長だった登さんも
早期退職してふるさと宮古島市役所の
副市長に就任してふるさとの発展に貢献できる
立場になった。
副市長として自分の想いを果たしたかに見えた
親友は、変わりゆく故郷の発展を感じながらも
オーバーツーリズムなどの影響により市民生活の
未来に不安のある大きな悩ましい問題を
看過することが出来ず、副市長としての職務では
限界があると感じる事は
彼の性格を知る友として容易に想像できた。
自分の描いていた未来妄想図を未来予想図にして
夢実現する為には、議会承認の副市長ではなく
市民に選ばれる市長として宮古島丸のかじ取りを
するしかないと判断して市長選挙出馬する
一大決心だったのではないかと想像する。
副市長に就任してからはしおちゃんから
電話をする事があっても登さんに対する問いかけに
返信する事があっても直接の連絡は殆どなかった。
ある日の夜、山里くんと盃を酌み交わしながら
「宮古島に行ってから連絡がほとんどないので
寂しくないか?」
と愚痴をこぼすと山里くんは
「登は、仕事ができるからその辺の副市長より
激務にしていると思うよ」
と切り出してから
「地元の人たちと付き合い相談しているから
心配する事はないよ」
と納得しながらも二人とも言葉にしない
予感を感じていた。
居酒屋から帰宅したその夜に風呂から上がると
久しぶりに嘉数のぼると携帯電話に
着信の表示があった。
そのまま発信して呼び出し音が止むと
登さんは開口一番
「首里!俺決めたよ!
市長選挙に出馬する」
「良く決断した!尊敬するよ」
しおちゃんは、友の声を耳にして
湧き上がる情熱で興奮していた。
台所に立っていた妻は、
「宮古島に行くの?どれくらい?2週間ぐらい?}
との言葉に感動しながら
(行っても良いんだ?)
としおちゃんの心の声が聞こえたのか?
妻は続けて
「私もおにぎりを作りに行くからね!」
この日からしおちゃんの新しい人生ドラマが始まった
10月初旬に那覇市内の居酒屋で再会した。
公務出張のスケジュールを終えて遅れて来た
友は、開口一番
「今日、辞表を提出した」
と言葉にした彼の鋭い視線をみつめていると
「選挙は、勝たないと意味がない」
と強く言い切った。
しおちゃんの新しい人生ドラマが
いきなり最高潮レベルに達した瞬間だった。
副市長を退職してからも宮古島の状況が
伝わってこない事にもやもやしている
タイミングで登さんから相談が、
あった事を妻に伝えた。
その週末、洗濯物をたたんでいた妻が、
1か月ぐらいなら宮古島に行ってもいいよ」
しおちゃんは「ありがとう」と
口にしたあと頭の中で考える事がいっぱいになり
いつもの様に無口の塩ちゃんになっていた(笑)
その日の夕食テーブルで
投票日前の1か月でいいか?
と尋ねると妻は
「行くのであれば、今が一番だと思うけど?」
との言葉に
「今行ったら最後まで帰ってこないよ」
と返答しながらまた無口の塩ちゃんになった。
12月6日の同級生による推薦書交付式に
立ち会う為選挙事務所に向かう飛行機に
山里くんと二人で搭乗した。。
初めての選挙事務所訪問で事務所体制と雰囲気を
肌感覚で味わいどこか溶け込めない印象をもった。
地元に住んでいないしおちゃんは、
お呼びじゃないかもしれないと勝手に想像した。
選挙活動経験があるとは言えほとんどの
中心スタッフが選挙組織として初体験の人が
多い印象を持った。
その後、同級生の懇親会と滞在している間
積極的に多くの関係者から個別に話を聞くと
全員の高い目的意識を持っていると感じた。
心を一つにするための意識向上には
笑顔の絶えない事務所雰囲気が大事だと思ったが、
やはり地元で生活していないしおちゃんの役割だとは
思わなかった。
宮古島から帰宅して妻に
「地元の人に任せようと思うので
行かないので行かない事にした」
と報告すると妻は「それでいいの?」
とだけ言葉にした。
これまでのしおちゃんの行動を良く知る
数人の友人から背中を押されていると
宮古島出張から帰ってきた別の友人から
選挙事務所の雰囲気と候補者を交えた
数人の同級生との会話内容を聞き
俺も役に立てるかもしれないと決断をして
妻に伝えると快く決済をしてくれた。
宮古島に出発する前夜
(妻との約束)
①お酒を飲まない事
②毎日ひげを剃る事(若々しい恰好をする)
(しおちゃんの決意)
③後輩でも友人でも選挙事務所内では
誰であろうとさん付けで敬語を使う事。
④朝一番に事務所のカギを開け神棚に拝礼する事。
⑤宮古神社・漲水御嶽・アツママー御嶽を
毎朝参拝する事。
⑥般若心経の写経をする(完成5回)
⑦読書「嫌われる勇気」の再読
宣言した後YouTubeを覗くと
志村けんの名言に出会う。
「死んだらずっと寝れるから苦労しようぜ」
妻に面白い言葉を発見した事を伝えると
高校時代の先生も同じようなことを言っていたと
口にした。
日本縦断独り歩きの際に実行した
2:30起床3:30宿出発だった癖が
達成後も習慣化していたので
お酒さえ飲まなければ、全ての目標を実行できる
自信があった。
選挙期間中は、毎夜しらふなので
頭が冴えていても61歳の体力と
精神的な疲れがあるのか
ベッドで横になると数分で深い眠りにつけた。
一度5:45に目覚め毎朝のルーティンである妻に
モーニングコールで「寝坊した」
と言うと笑われてしまった。
友人の大願成就が叶った瞬間は、
これからの人生に大きな夢と希望を
与えられたしおちゃんの新しい人生ドラマは
最高のハッピーエンドで幕を閉じた。
那覇に離れる際に立てた目標も
7項目目の「嫌われる勇気」の完読(3/4)だけ
果たせなかった。
ジュウルクニチ墓参りを終え
ブログを書いていると昨年の今頃が
脳裏に浮かんだ。
不参加だった昨年の還暦同窓会の
残念な思いをリベンジするかのように
中学の同級生だけではなく高校の同級生、
それとしおちゃんはの両親と登さんの
出生地出である西城学区の同年代の仲間とも
知り会う事が出来た。
顔見知りだけだった同級生とも懇意になれたことは、
結果としてしおちゃんだけの最高のカタチで
還暦同窓会を神様からプレゼントされる
幸福感満載の宮古島滞在だった。
27期平良中生徒会会長上地成人さんを中心とした
同級生たちの連日連夜の支援活動には、
頭が下がる思いを強くすると同時に
我々世代が持つ親の介護とか家庭の
仕事を犠牲にして人それぞれが抱える悩みなど
微塵も感じさせない姿には
感謝・感動・感激の毎日だった。
また島で生活しているからこそある
目に見えないしがらみを抱えながらも
遠くから支援の声を送ってくれた同級生たちにも
感謝・感動・感激だった。
事務所には行けないけど!と前置きをしつつも
「登に入れたからね」と携帯電話から入る
同級生の声を何度も聞きその都度胸が熱くなり
涙をこぼれない様に頑張る自分の姿に
感動を覚えてもいた。
本日のジュウルクニチ親父が眠る墓前で
しおちゃんは、感動の宮古島滞在としおちゃん家族が
それぞれの夢実現に向けてしっかり前を向いて歩いている
現状を報告しながら感謝の気持ちを伝えた。
これまでは「生かされている」と自分に
言い聞かせてきたがこれからの人生は自分の為に
「生きる」と心に言い聞かせ
妻や子供たちを始めとするしおちゃんに関わる
全ての人々と幸せの時間を共有できると
希望する決意表明をした。
「人間っていいなぁ・・・」
しおちゃんを取り巻く全ての環境が
平和であって欲しいと強く願いながら
毎日が笑顔に満ちた人生でありたいと
首里もしおちゃんも塩川勝則の
三者三様の幸せのカタチをお互いに
支え合って生きていたい。
2025年2月13日 旧暦1月16日(ジュウルクニチ)。
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